
島本融
昭和2年4月7日生れ
東京大学文学部美学美術史学科卒業。
武蔵野看護学校 昭和38年頃
都留文科大学 昭和40年頃
跡見学園女子大学 文学部美学美術史学科 昭和42~55年
東洋大学 夜間部 昭和45~47年
女子美術大学 美術史/美学 昭和45年4月~51年3月
、群馬県立女子大学 昭和56年~平成7年
東京工芸大学 芸術学部 平成6~10年
東京学芸大学 平成11年頃(1~2年 榎本記憶)
令和3年8月21日 歿


著作著書 (先生から戴いて榎本の本棚にあるもの、順不同・未整理)
翻訳「美術史の理論と方法」ゼードルマイア みすず書房
翻譯「芸術と真実」―美術史の理論と方法のためにーハンス・ゼードルマイア みすず書房
翻訳「ファン・ゴッホ書簡全集」共訳
著書「ロートレック」 みすず書房
翻訳バーナード・ベレンソン「美学と歴史」
塔影
158号(1967)「めくりのこしたカレンダー」、
162号(1968)「盆地」、
165号(1969)「動静」、
166号(1970)「ばばあ 夕暮」、
168号(1971)「十二月」、
169号(1971)「私信」、
170号(1971)「しずく 錆」、
172号(1972)久恵「朴・一日の京都」、
174号(1973)久恵「辻が花抄」「桶の桶直」「二つの富士」、
176号(1973)「帰る 碧落 恢復期」、
177号(1974)久恵「李家の柳葉 蘭」、
179号(1974)「重い旅」、
180号(1975)久恵「酔名十年忌に」、
182号(1975「)河井酔名生誕百年」、
183号(1976)降る、
188号(1977)「八月のアフォリズム」、
192号(1978)「薔薇 旅愁」、
213号(1986)「最終号・島本久恵追悼」。
浪曼群盗
14号(昭和33年4月)「シュタッファージュと冷え」、
16号(33年11月)「ジムとビルトの悲しみ」、
28号(1965.7)七月のアレグレット」他一篇、
29号(1966.7)「手帖の中の午後」四篇、
30号(1967)「廃線軌道の夏」他三篇、
32号(1969)「しのび返しと晩夏」
美學會編「美學」(1972春号)「画面周縁部におけるheiterとernst」、
塔影詩社蔵「江口きち資料集成」
「午後のメニスカス」 島本融句集 文芸旬報社
「アルカディアの墓碑」島本融歌集 丸善出版
島本久恵 河井酔名とともに その九十年の軌跡をめぐって 島本融講演録
「あいだ」における悟性と感性 島本融 跡見学園女子大退任記念講演会
「情調と渾融」 岡崎義恵の軌跡をめぐって 島本融 東北芸術文化学会
「草枕」私孝 島本融 定年退任記念基礎論羨 東京工芸大学芸術学部基礎教育課程
「うないおとめとレオナルド」 「草枕」私孝補遺 島本融 東京工芸大学芸術学部基礎教育課程
「芸術作品の生と終焉」 島本融 アルス・ウナ芸術学会
「シニフィアン、その眠りと覚醒」 島本融 東京工芸大学芸術学部紀要
「ゆずり葉の木の下で」 信長貴富作曲 音楽之友社
